好きな戦国武将の紹介
皆さんこんばんわ!カイネです!
今日は自分の大好きな時代、戦国時代に活躍した武将の中から好きな武将を紹介していきたいと思います!
今日紹介するのは、「片手千人斬り」の異名を持つ、土屋昌恒です!
片手千人斬りとかロマンたっぷりじゃありませんか!
では、紹介をしていきたいと思います!
生年 1556年(弘治2年)?
没年 1582年(天正10年3月11日)
生年ははっきりとは分かってはいないものの、1556年(弘治2年)頃に生まれたとされています。
父親は金丸筑前守で、その次男であった昌恒は1561年(永禄4年)に行われた川中島の戦い以降に、土屋氏の名跡を与えられたといわれています。
また今川氏旧臣であった、武田海賊衆の土屋貞綱(岡部氏出身)の養子となっていましたが、1575年(天正3年)に行われた長篠の戦いにて兄・昌続及び養父・貞綱が戦死したことにより、両人の家臣を昌恒は率いるようになりました。
昌恒は勝頼に従って、東海方面や関東方面での戦に参加していたようです。
1582年(天正10年)、織田・徳川連合軍により、甲州征伐が開始。
両軍の侵攻に対し、武田方は組織だった抵抗もできず、次々に寝返りが発生し、武田氏は追い詰められていくことになります。
そんな中、昌恒は主君・武田勝頼に最後まで従いました。
勝頼は居城であった新府城を放棄し、小山田信茂を頼って敗走を続ける途中、信茂が離反して進退窮まります。
そして勝頼一行が天目山に追い詰められると、勝頼が自刃する時間を稼ぐため、織田軍と戦い討死しました。
その際の昌恒は、「片手千人斬り」という異名を残すほどの活躍をしたといいます。
という経歴を持っています。
勝頼の最期まで付き従った忠臣と言えますね!
この「片手千人斬り」は崖際での戦いだったため、片手に木の蔓を持ち、もう片手で武器を振るい戦ったことから名づけられたと言います。
補足ですが、この土屋昌恒の息子である忠直は父親の忠誠心が認められたのか、その後徳川家康の家臣となり、初代上総久留里藩の藩主となっております。
上総久留里藩といえば自分の実家がまさにその土地にあるのでなんだか親近感が湧いてきますね!
以上が紹介となります!
いやぁ最後まで忠誠心を失わず、主君に使え、討ち死にした様はまさに「片手千人斬り」の異名を持つのにふさわしいのではないでしょうか?
自分は戦国時代が好きなので、また機会があればこのような形で武将を紹介していきたいと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
また次回お会いしましょう!バイバイ!